Eco-Brinch通信 「ゆっくりずむ」第56号 2013年 弥生 掲載記事
「自然は正しい」 グロッセリュック
小さい頃、放課後の私の遊び場は庭でした。母が育てる花や野菜と、父が手入れする生垣に彩られた庭にある大好きなサクランボの木に登って、サクランボをほおばりながら昆虫と遊んだりするうち、直感的に自然に近づいていった、という感じです。
自然が私にその扉を開いてくれたのは、後にペイザジスト(自然風景式庭園デザイナー)の勉強をしている頃のことです。樹木や植物の世界的なコレクションを誇る50haという広大な植物園のような庭の中に、その学校はありました。寄宿舎生活をしていた私は、毎日のように庭を散歩することができ、一本のレバノンスギの老木に惹かれ、機会あるごとにその木のそばで休むようになりました。そのうち、何となく心の中で語りかける(以心伝心?)ようになっていました。
芸術史に関する口答試験の日のことです。出題範囲が膨大でとても網羅できず不安な気持ちでいた私は、試験会場に行く前に「私の木」の下に座り、「助けてください」とお願いしました。そして、「もし助けてくれたら、一生自然を守るために全力を尽くします」と誓いました。いよいよ、試験会場に入ると、教官の前のテーブルにそれぞれ出題テーマを書いた10枚の紙が並んでいました。どれを選べばいいんだろう?「私の木」のことを思い、もう一度「助けてください」と頼みました。その日の空は灰色の雲で覆われていたのですが、突然その雲間に切れ目ができ、一条の光が差し込みテーブルの上の紙の一枚を照らすのです。「これしかない!」選んだそれは、まさに得意なテーマのひとつでした!ある種「生の声」を聴いてしまったようなこの体験の後、自然に対する私の見方はもう以前のものではなくなり、その後も色々な体験をする中で、ますます自然のエッセンスへと近づいて行ったような気がします。
「私の木」への約束もあって、若い頃の私は、自然に対する人間の愚かな行為にしばしば強い怒りを感じていました。ベルギーから日本に初めて来た時の印象は今でも忘れません。成田空港の近くは緑が多かったのですが、東京に近づくにつれ目にする景色は、灰色一色でまるでコンクリートジャングルのように見えました。暮らし始めてからも、建物や道路のために、あるいは公園のためにも、「安易に」伐られてしまう大木の姿に、自分の身を切られるような痛みを覚えるようになり、何が何でも木を守りたい、自然を守りたい、という気持ちがますます強くなり、私は「戦うエコロジスト」になっていました。
それがある時、この世からいなくなればいいとさえ願っている人たちと同じくらいネガティブな自分に気がついたのです。時間はかかりましたが、「反対・対抗する」より、「創造する」ことに目を向けることが大事だと思えるようになりました。私の場合、自然が与えてくれるものすべてを愛し、尊重し、活かしながら自分の仕事(ペイザジスト&ビオガーデナー)を果たすということです。
意識が変わったおかげでしょうか。自然は、また新たな地平を私に開いてくれるようになりました。色彩と形とエネルギー、そして数学的法則という驚異と神秘に満ちたいのちの営みの世界そのものです。そこにあるのになかなか気づかないで通り過ぎてしまっているこの世界のことを伝えたい、心と目を向けてほしいという想いがどんどん膨らみ、そんな場としてエコール・グロッセを始めました。